2023/12/31 「その地から根こそがれた玉蜀黍の苗のように」他(『幸福の追求』)詩篇訳読

試訳(第二部冒頭詩篇)

その地から根こそがれた玉蜀黍の苗のように、
海から忘れられた古い貝殻のように、
生のかたわらで

僕は僕を愛してくれようとした君に助けを求める
僕とおいで、出発しよう、僕は再び見いだしたいのだ
夜のあらゆる痕跡を。


冷たさの感覚

その朝は清澄で比類なき美しさだった──
君が守りたかったのは独立独歩。
僕は鳥たちを見ながら君を待っていた。
僕が何をしようとも、苦しみが訪れるだろう。


偽りの悦びの午後、
引き剥がされる肉体
君はもう僕をあまり欲さず、
僕たちの眼差しはもはやなにも伝えない。

ああ! 別離、耐え難い苦痛よ
絡み合う僕たちの視線のなか
僕たちの肉体の緩慢な分裂、
この夏の美しき午後。


掃除された小物たちから
そこにいない存在が読み取れる。
台所で、引き裂かれた心で、
僕は君が舞い戻ろうとしてくれるのを待つ。

ベッドにうずくまった僕の女、
僕自身の最悪の部分
何度も何度もこんなうんざりする夜ばかり、
あなたが怖い。それでも君を愛している。

ある土曜の午後、
大通りの喧騒の中で一人、
僕は独り言を言っている。僕はなんと言っているのだろう?
生は稀だ、生とは滅多にないものなのだ。


●冠詞への目配せ?
●直接話法が埋め込まれているかのような詩行
●時間表現への形容の謎
●合一への奇妙なまでの執着
●初版からの変更点→逆に読みにくくなっている?(解釈の余地を広げている?)
●vieの訳語→人生?生?


どうして我々は決して
決して
愛されえないのか?


・我々(=nous)とは誰のことか? 先ほどまでの詩篇ではnousは恋人同士のことであると読めたが、本誌篇では愛されえない人々一般を指しているように思える。ウエルベックの詩におけるnousの範囲の確定困難さ。
・一文が三行に分けて書かれているのはなぜか?→三位一体?
・三行に分割することで、三行目冒頭にêtreという単語が登場し、強調されている。前詩二行目の「そこにいない存在(=non-être)との対比?


よりどころなく生きること、虚に囲まれて、
白い卓状台地【メサ】に立つ一羽の猛禽のように——
だが、鳥には羽が、獲物が、報復がある——
ぼくにはどれひとつない。見通しは定まらないまま。

ぼくは自分を世界に返すあの幾夜を少しばかり経験した、
その世界でぼくは新しい生に満ちて目を覚ますのだった
ぼくの動脈が波打っていた、一瞬一瞬が
力強く連なっていくのを感じていた、あまりにやさしく、あまりに現実的な瞬間。

それも終わり。今は晩が恋しい。
ぼくは毎朝、倦怠の高まりを感じる、
ぼくは偉大な孤独者たちの住む地に赴く、
もはや勝利なき平和を望むのみ。

よりどころなく生きること、虚に囲まれて、
夜が毛布のようにぼくまで降りゆく、
ぼくの望みはこのぼんやりとした接触において消える——
ぼくは夜を進んでいく、注意深く明晰に。


・三行目、鳥の報復とは何か。
・十一行目「偉大な孤独者たちの住む地に赴く」とは出勤のメタファー?
・二連目で夜を讃美し、三連目でそれが失われる。しかし、四連目でふたたび夜に身を浸す。
・「勝利なき平和」(=闘争から降りること)を日中は望むが、その望みが棄却される夜がふたたび訪れるということか。