2024/03/22 アガト・ノヴァク=ルシュヴァリエ主催「ウエルベック・セミネール(3)」報告

3月22日に行われたウエルベック・セミネール最終回の報告です。今回はパリ政治学院講師のセバスチャン・ドゥ・ギャスケ Sébastien de Gasquet、写真家のフィリップ・マトゥス Philippe Matsasらによる講演が行われました。

ドゥ・ギャスケはウエルベックのインタビューに関心を持ち、現在までに240に及ぶ資料を収集するという実証的研究を続けており、発表はその豊富な資料をふんだんに用いたものでした。彼がこの研究を始めたきっかけは、ウエルベックの2009年におけるドストエフスキーへの言及です。ウエルベックがロシア人作家の日記や手紙まで読み込んでいると知ったドゥ・ギャスケは、同様の情熱をウエルベックに傾けます。調査の結果、文章や記事、序文など作家の署名付きの文章は80程度、なされたインタビューは240程度、そのうち文章化されているものは150程度が確認されたとしています。それら資料をもとにドゥ・ギャスケは本講演において、ウエルベックの文学的創造に焦点を合わせます。2010年のインタビューで、ウエルベックが自らの小説を論文小説 roman à thèseではなく、思想小説 roman d’idées1、だと発言したことを出発点に、ドゥ・ギャスケは『発言集』における作家の主張──理論的考察を小説に組み込み、さらに小説を統合的なものとしようとする野心──と、ウエルベック自身の発言を分析し、作家の発言や発表文章が小説作品に活用されていることを確認します。この翻案的作業には多くの段階と抵抗(意見のすり替え、作家自身の意見の変化……)があることを認めつつ、ドゥ・ギャスケは幾人かの先行研究者たちの仮説、すなわち現実の作家ウエルベックとは作家自身による虚構的な作家像であるという仮説を、この作家/作品の構造のもと退けます。そして提案されるドゥ・ギャスケの仮説をまとめれば、ウエルベックはメディアによって提供された空間を使って、自分の考え、自分の文学観、自分のビジョンを表現し、それをさらに小説へ反映させている、というものです。つまりドゥ・ギャスケによれば、「ウエルベックにとってインタビューとは、単なる宣伝のためのものではなく、内省のためのもの」なのです。この仮説ののち、ドゥ・ギャスケはさらにインタビューの統計的分析を行い、その掲載媒体に無頓着な性格と、半分以上が文学に関する発言であることを指摘し、ウエルベックの小説観における登場人物という存在の重要性について言及しました。

フィリップ・マトゥスは97年から継続して、ウエルベックの肖像写真を撮影してきたフリー・カメラマンです。200枚近くの公開済み・未公開の写真スライドを用いながら、作家の変遷を年代記的に解説をほどこしました。肖像写真は必要に応じて作家の元に行き撮影されてきたために、マトゥスの解説はウエルベックの実人生における移動を再構成するものです。パリ、アイルランド、ランサローテ島、スペイン……。彼の話の中で、今日的に興味深い点として、ひとつ目は雑誌『テレラマTélérama』用に取り下ろされた写真についてでしょう。これはペーパーバック版(2024年刊)『滅ぼすAnéantir』の表紙に再活用されたそうです。マトゥスはスリラー小説さながらのこの表紙デザインについて、007シリーズとの近似を指摘しつつ、地下鉄構内での広告では煙草が禁止されているために、トレードマークのタバコが万年筆に差し替えられることになった逸話を披露しました。ふたつ目は、マトゥスの解説が実のところ写真の転換期における証言になっている点です。カラーネガからデジタル写真、そしてさらにAI技術による人工的なイメージへの転換についてまで論を進めたのは、この点についてマトゥスが自覚的であるからに他なりません。マトゥスは講演の締めくくりに、被写体であるウエルベック自身の逸話──作家が自殺衝動に駆られてブログに公開した「死ぬこと」という文章と、パレ・ドゥ・トーキョーの展覧会にてマトゥスと共同制作したCTスキャン画像──に言及することで、世界の進歩に肯定・否定という立場をとること、すなわち世界と距離をとることをよしとせず、世界のなかにあろうとする作家の姿を浮かび上がらせました。

左:Anéantirポケット版書影(アマゾンリンク)、右:地下鉄販促ポスター

左:Anéantir初版刊行時筆者近影、右:『JDD』誌の表紙におけるAI作成のウエルベック(LA couverture du JDD Magazine © JDD:https://www.lejdd.fr/sommaire/michel-houellebecq-image-artificielle-136204

  1. フランスの作家ポール・ブルジェ Paul Bourget が『約束の地』序文(1892年)においてバルザックから借用した術語として知られる、文学ジャンルのひとつ。この序文冒頭でブルジェは、『約束の地』の採用した形式の原型である分析小説 roman d’analyse について、バルザックが分析小説家たちの関心がもっぱら内的生での出来事に向けられていることを示すために思想小説と呼んだことを評価している。『約束の地』序文では、このジャンルの定義から作家の分析精神と責任の問題へと議論が展開される。こうした背景はあるものの、ドゥ・ギャスケのここでの用法はあくまでウエルベックの発言に即したものである。その発言の文脈上、ここでは論文小説とはひとつのテーゼに還元可能で、読者にそのテーゼを説得させるような小説であるのに対し、思想小説とはさまざまなアイディアが寄せ集められた小説、という意味合いと解されよう。 ↩︎