試訳
街に陽が昇り広がり、また暮れる
囚われ人のぼくたちは夜を乗り切り
この耳に届くはバスとかすかなる
社交のさやぎ。ぼくが存在しはじめる。
今日という日が立つだろう。苦しみの塊であるぼくたちを
周囲のものと切り分ける不可視の面が
恐るべき速さで形作られて固くなりゆく——
身体は、身体だけど、属すること。
ぼくたちは疲れと欲を乗り切った
子どもの夢にもう一度魅力を見出すことはなく
微笑みの裏にはもはや大それたものはなく、
ぼくたちは透明に取りつかれている。
この日々、肉体が我らを支配し
世界が、セメント塊のように、確かにある日々のあいだずっと、
喜びも、情熱も、悩みもなく、
役に立たないが実は神聖なこの日々、
牧草地とブナ林のただなかで、
ビルと広告に囲まれて
我々は絶対的に真なる時を過ごしている。
そう、世界は確かにある、見かけどおりに。
人間存在は分離した部分からできていて、
それらを合着した肉体は念入りに囲われた巣穴で
独り生き続けるためのものではない
人類は飛翔を待っている。触知できないものの呼び声を。
その守衛はいつも夕暮れの最中に来る——
その目は物思いに満ちていて、彼はあらゆる鍵を持っている、
捕らわれた者たちの灰が一瞬で吹き飛ばされる——
独房を綺麗にするには数分で足りる。
日本フランス語フランス文学会2024年度春季大会(6月1日)において、MH研究会員の八木悠允が「ミシェル・ウエルベック『幸福の追求』における改変について」と題した発表を行いました。その内容を報告いただきました。