2025/04/19 「ディジョン」他(『ルネサンス』)読解

試訳

ディジョン

普段ならディジョン駅に着くなり、私は完全な絶望状態に達していた。
だが、何もまだ起きていなかった。空気や、建物のなかで、ある種の存在論的な躊躇のように浮遊する感じがしていた。
世界の動きはまだ不安定(=不確定)で、突然止まってしまうかもしれない。私もまた、止まってしまうかもしれなかったが、道を引き返すことも、再び進むこともできる状態だった。もしくは私は病で倒れるかもしれなかった。体調が悪かったのだ。月曜の朝、普段から霧がかった、その他の点では快適なこの街の通りを横切りながら、この週は存在しないかもしれないとまだそう思っていた。

8時10分前ぐらいにサン・ミッシェル教会の前を通り過ぎた。たどるべき道が何本かあり、その数百メートルの間、誰にも会わないのはほぼ確実だった。私はそれを楽しんでいたが、ぶらぶらしていたわけではなかった。ゆっくりと歩いていたが、寄り道はせず、徐々に狭まる空間へ、最良に区画されていく場所へ歩みを進めていた。そこでは毎週のように、物質的な生存が繰り返される地獄が私に向かって繰り広げられていた。

タイプライターは20キロ以上もあり、
稲妻の形の大きなキーが付いていてキャリッジ・リターンを示していた。
ジャン=リュック・フォールがそれを運ぶのを手伝ってくれたと思う、「君の回想録を書くためか」、冗談めかしてからかっていた。


パリ=ドゥルダン

ドゥルダンで人々は鼠のように死ぬ。少なくとも、私の部署の事務員ディディエはそう良い張る。少しばかり想像を膨らませようと、私はRER-C線の時刻表を購入したことがあった。そして一軒家、ブル・テリア、ペチュニアの花々といったイメージを頭に描いていたわけだ。しかし、彼が描写してくれたドゥルダンでの生活とは、田園風という言葉からかけ離れていた。夜の八時に帰宅するが、開いている店は一軒もない。誰かが訪ねてくることなんて、けっしてない。週末といえば、冷凍庫とガレージのあいだを無為にうろうろするだけだ。したがって、正真の反ドゥルダン的告発として彼は曖昧さのかけらもない言葉で締め括ったわけなのだ、「ドゥルダンで、君は鼠のようにくたばるってわけさ」と。
にもかかわらず、私はシルヴィにドゥルダンの話をした。オブラートに包んだ、とはいえ皮肉っぽい調子で。「この娘は」と私はその日の午後、煙草を手に、コーヒーの自販機と炭酸飲料の自販機とのあいだをうろうろしながら、内心で呟いていた。「まさにドゥルダンに住みたがるタイプだ──僕の知る限り、ドゥルダンに住みたいと思いそうな女がいるとすれば、間違いなく彼女だ。彼女はまったくもって「親ドゥルダン派」って顔をしてるじゃないか」。

もちろんこれはまだ素描にすぎない──初期段階の動きの素描であり、ドゥルダンへと私を向かわせる緩やかなトロピズムの素描である──このトロピズムが結実するまでにはたぶん何年もかかるだろうし、それどころかおそらく結実することはないだろう、それは物事の流れによって、諸々の事情という常態的な圧力によって妨げられ、消し去られてしまうだろう。私がドゥルダンに足を踏み入れることなどないだろうということに、疑う余地はない──ブレティニーすら越えることがないのではないだろうか。だがそれでも、人には誰しも計画と、展望と、そして錨が必要なのだ。ただ、生き延びるために、それだけのために。


どの席に着こうか迷うよ
(時たま夜にパーティーが開かれる)このカフェでは——
みんなが話しているのは地元の話題とか
金の使い道とか、殺したいやつのこと。

コーヒーと勘定を頼むよ——
本当のウッドストックじゃないからね。
カウンターの客はみな帰った、
やつらは<マルティーニ>を飲み切った、
へっ!


ニース

イギリス人の散歩道がアメリカの黒人に侵略される
バスケットボール選手ほどの肩幅はない黒人に。
彼らは「剣の道」の信奉者である日本人
そしてジョギングをしている半カリフォルニア人とすれ違う。

これらすべては午後四時ごろ、
日が傾くころのこと。