20223/09/24 詩篇「一生、取るに足らないもの」「わたしは病院が好きだ」(『幸福の追求』)読解

一生、取るに足らないもの

生まれてすぐに自分は年寄りだと感じた
他の奴らは叩き合い、望み、ため息をついていた
わたしの方にはぼやけた後悔だけがあった。
わたしには子供時代のようなものはなにひとつなかった。

ある森の奥、苔むしろのうえで、
吐き気を催す木の幹のいくつかは自らの葉より長生きする
木々の周りには喪の雰囲気が広がっている
汚く黒いその肌には、キノコが生えている。

わたしは今まで一度も世のため人のためになったことがなかった
残念なことだ。自分のために生きることは人生を不味くする。
少しでも動けば問題を引き起こし、
人々は自分を不幸だと感じ、しかしそれが普通だと思っている。

微生物のように、微かに動く
人々はもはやほとんど無である。それなのに何に苦しむというのか!
人々は一種の深淵を携え運ぶ
それは持ち運び可能で卑しく微かに滑稽な深淵。

死が不吉なものであるなど、もはや本当に思っているものはいない
とりわけ原則に従おうとして、笑うこともある
軽視するにまで至ろうとするが無駄である。
それからすべてを受け入れる。あとは死が片付けてくれる。


わたしは病院が好きだ、苦しみの避難所
そこでは忘れられた老人たちが臓器に姿を変える
彼らに嘲笑的で無関心たっぷりの視線を向けるのは
バナナを食べながら体を掻く研修医たち。

老人たちの衛生的でしかし汚(けが)れた病室では
彼らを待ち伏せる無がとてもはっきりと感じられる
とりわけ、毎朝蒼白い彼らが立ち上がり、
うめきながら目覚めの一本を乞うときに。

老人たちはほとんど音を立てずに泣くことができる
彼らは考え方を忘れ、彼らは動き方を忘れ
彼らはもうそんなに笑わない、そして数ヶ月後に、
臨終の際まで彼らに残るものといえば、

いくつかの言葉、ほとんどいつも同じの
ありがとうお腹は空いてないんだ息子が日曜日に来るんだ。
腸の動きを感じるよ、それでも息子が来るんだ。
しかしその息子はそこにいない、そして彼らの手、ほとんど白く。