『幸福の追求 La poursuite du bonheur』は1991年にラ・ディフェランス社から刊行されたのち、1997年に合本Rester vivant, suivi de La poursuite du bonheur, Paris, Flammarionとして再出版された。その後も複数回ポケット版詩集や著作集に再収録されたが、詩集の構成自体は1991年度版と1997年度版以降では数カ所異なっている(また構成のみならず、詩句や句読点、修辞記号まで細かな改変があり、この細かな改変は1997年以降も多少なされている)。
今回取り上げた「もう何もしたくないという欲望」前後の詩の配置は以下の通りである。
| 1991年版(初版) | 1997年版以降 |
| 忘却の長い糸 | 忘却の長い糸 |
| もう何もしたくないという欲望 | 「クレシー・ラ・シャペルからの列車」 |
| この男はたくさん読み、たくさん許した | 「外の世界」 |
| 鏡のなかの自分を見る勇気はもうない | 鏡のなかの自分を見る勇気はもうない |
| ぼくは夜が染み渡った街をゆく | ぼくは夜が染み渡った街をゆく |
「もう何もしたくないという欲望」は1997年版において、上記箇所の少し後で再録されているため、上表が示すのは①「もう何もしたくないという欲望」の位置が変わり、②「この男はたくさん読み、たくさん許した」が削除され、③1997年版以降では当該二詩篇に代わって「クレシー・ラ・シャペルからの列車」と「外の世界」が加筆された、という事実である。
今回の研究会では上記の詩篇の連関について議論し、その内容的変化が⑴主体(Je)の前景化の強調、⑵詩における時間表現と、詩篇の連続性における相関関係、⑶形式的統一性(「クレシー・ラ・シャペルからの列車」「外の世界」は「もう何もしたくないという欲望」「この男はたくさん読み、たくさん許した」の二篇に比べ詩的形式が明瞭に見て取れる)に寄与しているという仮説が得られた。この他にもこの作家の手直しには興味深い点が多く(修辞的変更や、挿入された二詩篇がいずれも詩題を与えられている点など)、今後の研究課題である。
もう何もしたくないという、とりわけ何も感じたくないというこの欲望
黙りたい、そして離れたいというこの突然の欲求
あまりに静かな、リュクサンブール公園にて、
そこに生えたヤシの葉のしたで年老いていく老議員であること。
そしてもはや何も、子どもたちも、おもちゃの船も、とりわけ音楽でさえも
この失望し、ほとんど平穏な瞑想を乱すことはないだろう。
ことに愛も、怖れも。
ああ! 抱擁の記憶を一切持たないこと。
この男はたくさん読み、たくさん許してきた——
彼はもはやそれに価値を見出せない。
ぼくはきみが与えてくれた愛について再考する——
それは平穏に古びたのだった。
人が生きるのをやめる瞬間はいつでも訪れる——
ときに早く、ときに遅く。
人々はもはや本当には書物に情熱を抱こうとしていない
6時15分、ぼくはすでに酔っている
もう生きたくない
6時15分。
きみはなんとぼくを苦しめたことか、最愛の悲しき人よ!
あまりに多くの叫び、あまりに多くの涙・・・
ねえぼくは今、疲れすぎたよ
6時15分、自殺したい——
武器は買ってあるんだ。
鏡のなかの自分を見る勇気はもうない。
時々、ちょっと笑って表情を作ってみる──
長くは続かない。眉毛が嫌になる。
一角を抜いてやる──すると瘡蓋ができる。
夕方に向かいの隣人が帰宅するのが聞こえる──
胸が締め付けられ、動けなくなる。
僕は計算高い故に彼女と顔を合わせたことがない、
冷笑的な僕はしかし人前ではぎこちなくなってしまうから。
夜は静かに中庭に入り込む──
窓の奥で僕は植物に思いを馳せる。
愛を知ることができ本当に嬉しい、
僕は生き生きとしたもののために壊れたのだ。
昨日の夜明け、僕は写真を焼いた──
新しい喜びだった、本当に束の間のものだったにせよ。
ラジオを聞こうとすら思った──
音楽は不快で、会話は腹立たしいものだが。
僕はもうモノの沈黙に憤慨することはない、
モノはその中で生きるものにのみ語りかける──
人間存在たちがいる、顔色は満開のばらの色、
まるで赤ん坊のようだ。これが情動的空想の産物【フィクション】だ。
ぼくは夜が染み渡った街をゆく
そして朝を迎える可能性を見積もる
暑すぎる空気がサテンのシーツのようにまとわりつく
無人の階段にて、ぼくの靴底が鳴り響く。
ぼくは上がって、ありきたりなソファに戻る
そこで眠ることなく待つ、クッションに身をうずめて、
朝のおぼろげで、すこしくすんだ淡い光を、
朝、それは機械的な動作をふたたび目にする時——
うんざりした日中と痛くなる目、
三杯のコーヒーと動悸する心臓、
目覚めの悪い肌をひりつかせる
衣服、新聞の見出し、
地下鉄アンヴァリッド駅を行き交う人間ども
秘書どもの太もも、技術者どもの笑い声
犬の喧嘩みたくやつらが投げ交わす視線、
空虚を中心としてやつらは動き回る。
