試訳
君は性【セクシュアリテ】、人間関係について話していた。いや実際、本当に話していたのだろうか? あたりは騒がしかったし──君の唇からは言葉が出てきていたようだったけれど。電車はトンネルに入るところだった。軽い騒音とともに、少し遅れて、車室の照明が灯った。僕は君のプリーツスカート、君の化粧が嫌いだった。人生同様、君は退屈な女だった。
「水曜日。マインツーライン渓谷ーコブレンツ」
孤独というものの明らかな裏表。僕の目に映るのはテーブルを囲んで座る老人たち、少なくとも10人はいる。その数を数えるのも楽しいだろうが、少なくとも10人というのは確実だ。ふぅっ! もし天国に飛んで行けたなら、すぐにでも飛んで行けたなら!
一緒くたに話すので、彼らの不愉快なざわめきからは咀嚼音の音節しか分からない、それはまるで歯で引き抜かれたみたいなシラブルだ。ああまったく! これだから世界と和解するのは困難なんだ!…
僕は数えた。12人いる。使徒と同じ数だ。だったら、コーヒーを給仕している青年がキリストを表しているってことになるのか?
だったら、僕が「ジーザス」と描かれたTシャツを買っていたらどうなった?
人生には、巻き取られていく時間がこすれる皮肉な音が聞こえてくるような気のする瞬間があり、
そして死は我々より優位に立っている。
すこし退屈していて、だから煩わしく喜びもないけれどすぐに方がつくと思っていた苦役を数分で終わらせるために仕方なくもっとも重要なものから一時的に遠ざかる、
それから振り返り、2時間以上が空虚へと滑り落ちていったことに気がつき落胆する、
時間が我らを哀れむことはない。
日々を生きてきたのに15分しか生きていないような気がして、当然自分の年齢について考えはじめる、
そこで6ヶ月儲けさせてくれるだろう策略ある種の大勝負を思いつこうとするがやはり最良の方法はページを黒くすることなのだ、
というのも、その名が我々の書物に書き込まれる特定の鮮明な歴史的瞬間においてや特定の個人でないならば、
時間に勝つ最良の方法はやはりそこで生きるのをある程度諦めることだからだ。
繰り広げられた我々の行為が調和して空間に組み込まれ、それ自体の時系列が生み出される場所、
我々の散らばった存在すべてが横並びに歩み、あらゆるズレが消し去られる場所、
絶対と超越という魔法の場所
言葉が歌であり、歩みが踊りである場所
は地球に存在しない。
しかし我々はそこに向かって歩むのだ。
・「君は性について話していた」「水曜日。マインツーライン渓谷ーコブレンツ」は初版には存在しない二詩篇。さらに後者詩篇は、フラマリオン社刊『ウエルベック1991-2000』(2016年)では一箇所動詞が変更されている(figurer le Christ → représenter le Christ)。
・「君は性について話していた」→聴覚的感覚が視覚的感覚へと移行している。
・「水曜日。マインツーライン渓谷ーコブレンツ」→タイトルが謎(なぜ曜日? マインツ、コブレンツはいずれもライン渓谷沿いの観光地。パッケージツアーの名前?)/キリスト(神)との距離感/数を数える行為の意味/「孤独というものの明らかな裏表」とは?
・「人生には、〜」→「ページを黒くする」とは詩を書くことか。書かれたもののなかで生きること、永遠の命を得ることを説く『Rester vivant(生きてあり続けること)』を想起させる。また理想のように書かれる「場所」が地球上(sur Terre)に存在しない一方で、そこに向かって歩んでいくとは、詩やより広く文学のなかにその場所を求めているということか?
