2024/02/15 アガト・ノヴァク=ルシュヴァリエ主催「ウエルベック・セミネール(2)」報告

フランチェスカ・ロランディーニ Francesca Lorandini(モデナ・レッジョ・エミリア大学講師)による「ウエルベックになる方法」、エリザベッタ・アビネンテ Elisabetta Abignente(ナポリ・フェデリコ2世大学講師)による「『地図と領土』における転喩法、自画像、芸術の概念」の発表がなされました。

ロランディーニは90年代のウエルベックのインタビューや執筆記事をもとに、彼の文学的戦略を明らかにしようとしました。彼女は『素粒子』(97年)による成功で一躍フランス文学界のスターとなったウエルベックは「過敏な芸術家として、不適合者として、寄生虫として、愚か者として、知識人として、新しい進歩主義者として」姿を公にしてきたことを「商業的な戦略」と判断してきた先行研究に肯定的な立場を取ります。「ミシェル・ウエルベックという名前は商標登録されて」おり、彼の立ち振る舞いはその再演に過ぎないという立場です。しかし一方で、ロランディーニはウエルベックの「いつも戻ってくるテーマ、すなわち蔓延するうつ病に通じる孤独、暴力的で痛みを伴う分離、西洋の権力と愛の衰退」に着目して読解することで、ウエルベックが「登場人物の頭の中に入るのだが、同時に彼らから自分自身を遠ざける」傾向があるのだと主張します。要するに、現実のウエルベックのキャラクター自体が登場人物たちと変わらない水位での性質に過ぎないという見方です。続けてロランディーニは、この硬直化した作家像の定まる以前の作品『生きてあり続けること』(91年)に注目し、その「見る者を刺し、衝撃を通して刺激し、見る者の中に矛盾した反応のイメージを作り出す」というウエルベックの作品に、「芸術と生活を隔てる障壁を越えて、強迫観念と神経症的な経験の世界に入るために、感情から出発する問題」を提起する作家の姿勢を見出し、これが彼の文学の出発点だと同定します。

アビネンテは『地図と領土』の文学的技法について分析しました。彼女は比較参照項としてトルコ人作家オルハン・パムク『無垢の博物館』(邦訳に宮下遼訳、ハヤカワepi文庫、2022年)を挙げながら、現実の人物の虚構内への登場とリアリスム文学の関係を越境の問題として考察します。『無垢の博物館』は『地図と領土』同様に作者が虚構内に登場するばかりか、小説内で建設されることになる「無垢の博物館」が、現実において作家の手によって建設・公開されるほど、現実と虚構とが強い強度で絡み合った作品です。この二作品の比較を行いながら、アビネンテが注目するのは転喩(メタレプシス)という概念です。メタレプシスmétalepseとは、より広義にはある物事を、それに先行、後続、または随伴する別の物事を通して理解させる技法として解されます。この概念自体は理論的に批判的に発展しており、アビネンテはフランソワーズ・ラヴォカートが提唱した「メタレプシス自体のメタレプシス」という概念や、マリー・ルロワイヤンの「存在論的メタレプシス」に目配せしつつ、この技法と文学的レアリスムとの関係に着目します。「従来の「レトリック的メタレプシス」は、まだ文学的レアリスムと両立可能だったが、これらの新しい概念は「不可能な世界の融合」を指し示している。つまり、これらの作品[『無垢の博物館』と『地図と領土』]におけるメタレプシスは、単なる自伝的自己フィクションを越えた、ずっと皮肉な自己表象の試みなのである」。