試訳
ヴェロニク
その家はばら色で雨戸が青かった
ぼくは夜闇に浮かぶきみの顔の輪郭を見ていた
夜明けが近づいていた、ぼくはちょっと緊張していた、
月が湖のような雲に滑り込んでいき
そしてきみの両手は描き出す
ぼくが身体を動かし広げることのできる不可視の空間を
そしてぼくはきみの方へ歩いていった、近くにいるのに近づけないきみの方へ、
まるで死に向かって這う瀕死の人のように。
突如として白い爆発のなかですべてが変わった、
太陽が新しい王国のうえに昇った——
ほんのりと暑くて日曜日だった、
周囲の空気に立ち昇る一詩篇の諧調。
ぼくはきみの瞳に奇妙な愛情を読み取っていて
小さな犬小屋のなかでぼくはとてもしあわせだった——
やさしくて本当にひかり輝く夢だった、
きみはぼくの主人でぼくはきみのプードルだった。
・夜明けを恐れる=夢想を好む態度はウエルベック的と言える。しかし一体どこからどこまでが夢なのか。
・夢の内容の解釈としては、ぼくという人間がきみの飼い犬になっている夢であるというものと、ぼくというプードルが人間になって飼い主のきみと交流している夢であるというふたつが提出された。
・「ヴェロニク」を詩篇のなかの「きみ tu」と同一視していいのか。「ヴェロニク」は『闘争領域の拡大』の語り手の元恋人の名前であると同時に、伝記作家によればウエルベック自身のかつての恋人の名前でもある。
・ぱっと見、男女関係的な詩篇に思われるが、「王国」「日曜日」「詩篇 psaume」などユダヤ・キリスト的な雰囲気も持ち合わせている詩篇でもある。
前の夏
太陽に向かって植物が努力して伸びている——
闘いが続き暑さは増す——
反射が目をくらますほどになる——
空気の詰まった層が、一様の気だるさで、
ひそかに揺れる。
ぼくは、誓って言うが、まともだった——
花々の容赦ない輝きがぼくの両目を貫いていた
それは事故だった。
ぼくはいままさしく同じ状況をふたたび目にしている。
ぼくらは暴風雨のそばで足止めされていた。
草地のしなやかな肌が割けた、ぽっかりと開いた口——
反射が目をくらますほどになった——
あちこちにジギタリスの花が咲いていた——
姉とぼくは婚礼の絨毯のうえを歩いていた。
・素直に読むと、姉妹との近親相姦を歌った詩篇に思える。
・ジギタリスは暑さに弱いため、春秋に花を咲かせる植物らしい。それを踏まえるとジギタリスは幻想性を示すもの、あるいは何かの暗示だろう。読書会では陰茎の形に似ているという意見も出た。
・現在形で書かれた部分と過去形で書かれた部分がおそらく「まさしく同じ状況 les circonstances exactes」。この反復性は何を意味するのだろうか。
あの娘
黒髪で唇のとても薄いあの娘
ぼくらはみな知っているが会ったことのない
夢のなか以外では。乾いた指で彼女がつまむは
ぼくらの破裂した腹で痙攣するはらわた。
シダの庭
僕らはシダの庭を横切った
存在は突然軽くなったように見えた
出鱈目に歩き回った人気のない街道
鉄柵をくぐり抜け、そして乏しくなる太陽
無言の蛇らが茂った草むらを這い回っていた
君の視線は甘き苦悩を打ち明けていた
僕らがいたのは植物が織りなす無秩序の中心
僕らを囲む花々がひけらかしていたその花唇【かしん】
僕らは楽園【エデン】を彷徨する、忍耐のない動物、
苦しみに取り憑かれ、自らの痛みを自覚する動物
合一【フュージョン】という考えは僕らの身体に残っている
僕らはいる、存在し、まだい続けたいと願っている、
僕らには失うものは何もない。植物のおぞましき生が
僕らを引き戻す先には、陰険で、押し付けがましき死が。
庭の中央で我々の体は腐敗しているだろう、
分解された体は薔薇で覆われることだろう。
・無言の蛇とは唆さない蛇であり、性欲をもたらさない蛇だと言える。我々がエデンにいるということは、我々は原罪を持たず、性行為が発生しない。しかし、合一への欲求は身体に残っておりそれゆえ苦しむ。一方で、植物は誘惑するための花びらを誇示し繁茂する。つまり、誘惑だけが等しく存在するにも関わらず(性的弱者は)実際の性行為あるいは合一にたどり着けないというウエルベック的社会をこの詩篇は示しているのではないか。合一に至れない我々は死んで腐り、性的強者の糧となるだけである。
夜の轍。
独りきりで、星が輝く、
それは遠く離れた聖餐のための準備。
運命たちはよせ集まる、当惑し、
動くことなく。
そう、我々はまだ見ぬ暁方へと歩いているのだ。
・惑うばかりで動かない「運命たち」と歩き出している「我々」との対比があるのではないか。
・新しい何か(それが宗教か王国か何なのかは分からないが)を求めて歩くところに、ウエルベック的なオルタナティヴの希求を読み込めるかもしれない。
・「ヴェロニク」以降、急に女性や性にまつわる詩篇が連続し驚いた。とはいえ、宗教的モチーフも変わらず登場している。
・おもしろいのは、性に関する詩篇において「植物」が多く登場すること。ウエルベックの植物に対する視点がどのようなものなのかはまだまだ分からないが、今回の詩篇においては、生や性にある意味盲目的に向かっていく存在として捉えられているような印象を受けた。
