2024/09/16 「自由主義に対する最新の盾」(『闘争の意味』)読解

試訳

自由主義に対する最新の盾

おれたちは自由主義イデオロギーを拒絶するよ、だってそいつは人間的と形容されうる共同体において個人とその同胞との和解にひとつの意味も、一本の道も与えることができやしないんだ、
そもそもの話、そいつが定める目標はそれとはまったく異なってるわけで。

おれたちは自由主義イデオロギーを拒絶するよ、福音の社会的使命についてのレオ13世の回勅ゆえに、そして古代の預言者たちがエルサレムの頭に破滅と不幸を願ったのと同じ精神においてそうするんだ、
エルサレムは崩壊して、立ち直るためには4000年あっても足りない。

人間のあらゆる企図がますます単なる経済学的指標によって評価されてるというのは分かりきってて異論の余地もありゃしない、
それは完全に数値化された指標で、
情報ファイルに記録できるもんだ。
そんなのは受け入れられない、だから経済学から保護されることとおれが厚かましくも倫理的と呼ぶいくつかの指標に経済学が従うことを求めておれたちは闘わなければならない、

そして3000人が解雇され、その社会的コストについての与太話を聞かされると、おれは監査コンサルタントの連中を半ダースばかり絞め殺したい激情にかられるのだ、
それは素晴らしい作戦だろう、
絶対的に有益な洗浄だ、
要は実質的に衛生問題の解決策だ。

個人の主体性に信を置けってのが、奴らが所構わず繰り返す合言葉、どこに行っても古いゼンマイ目覚ましみたいに繰り返しやがって、カチカチと一斉に鳴りやがるその音が、おれたちを疲労感漂う紛れもない不眠症に陥れたって寸法だ、
それに対しておれが言えるのはただひとつ、こいつは痛ましいのに繰り返されるある経験によってわかったことなんだけどさ、
つまり個人ってやつは、人間に限っての話だが、一般的には残酷かつ惨めな小動物なのさ、
だから個人を信頼するってのは無駄なんだ、難攻不落の道徳の厳格な原則ってものの中へと小突き回して閉じ込めて、飼い殺しにしない限りは、
だがそんなことはできっこないのさ。

自由主義のイデオロギーにおいては、明々白々ってもんさ。