
以下の文章は『リミトロフ』第三号(2023年)に掲載された文章を元に加筆修正されたものです。
Limitrophe, n˚3, 2023.
リンク:雑誌全文、掲載論文別
1956年
ミシェル・ウエルベック、本名ミシェル・トマ(Michel Thomas : 1956-)は2月26日にアフリカ大陸東に位置するフランス領レユニオン島のサン・ピエールにて、登山ガイドの父ルネ・トマ(René Thomas : 1924-)、麻酔科医の母ジャニーヌ・リュシー・チェッカルディ1 (Janine Lucie Ceccaldi : 1926-2010)のもとに生まれる。名前のミシェルは、母のモン・サン・ミッシェルへの思い入れからつけられ、ミドルネームには動物を愛した聖人フランシスコにちなんでフランソワ(François)が用意された。3ヶ月後、両親はアフリカへの長期旅行に出発し、幼いミシェルはオー=ド=セーヌ県のクラマールに在住していた父方の祖母アンリエット・ステファニー・トマ(Henriette Stéphanie Thomas, 旧姓Houellebecq : 1899-1978)に預けられる。
1957年
アフリカ旅行から帰った両親は別居を決める。父親はフランスに戻り、母親はレユニオン島で医師として活動を再開する。ミシェルは母方の祖父母に預けられることになり、61年の夏までアルジェリアの首都アルジェで育つ。
1960年
母ジャニーヌが他の男性の子を身籠ったことにより、父ルネは離婚訴訟を開始する。同年、義理の妹のカトリーヌ・フランソワーズ(Catherine Françoise : 1960-)が生まれる。
1961年
夏の終わり頃、ミシェルは母方の祖父母と暮らしたアルジェを去り、フランス中北部のブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏のヨンヌ県ディシーに暮らす父方の祖母アンリエットと、その再婚相手オーギュスト・ロジェ(Auguste Roger : ?)の元に預けられることになる。同年秋、母方の祖父マルタン・チェッカルディが癌により死去。ミシェルは祖母たちと、パリ東部に位置するセーヌ=エ=マルヌ県のヴィリエール=シュル=モランに転住する。
1970年
地元のモー高校に入学。父方の祖母、叔母たちに囲まれて育ち、両親とはヴァカンスの期間にそれぞれに会いに行く関係だった。
1973年 バカロレアを取得し、モー高校を卒業。母ジャニーヌからの金銭援助により父ルネが購入したパリ7区のアパートに単身転居する。近所に映画館があり、そこで多くの古典映画を鑑賞した。友人にならって、パリ8区のシャプタル高校の生物学準備学級に登録し、グランゼコール受験に備える。
1975年
高等師範学校の入試に失敗するも、合格した国立高等農業学校パリ・グリニョン校に入学。
1977年
同人誌『カラマーゾフKaramazov』を国立高等農業学校の友人二人(うちひとりは画家・批評家のピエール・ラマラティ(Pierre Lamalattie : 1956-))らと制作2 。ミシェルはドリアン・ド・スミス・ウィンター(Dorian de Smythe-Winter)名義で詩・評論を執筆。
1978年
友人と観た映画『モロー博士の島The Island of Dr. Moreau』から着想を得て、一年半ほど制作を続けていた短編無声映画作品『苦しみの結晶Cristal de souffrance』が完成する。この作品は農業学校の卒業生たちによる基金から資金援助を受け、同校のクロード・ベルナール通りにある大教室で上映された。シナリオはラマラティと共同執筆したほか、ミシェルは監督、役者(役名はジョニィ・ド・スミス・ウィンター)を兼任。
父方の祖母アンリエット死去。専門分野「自然環境と生態系の開発」で学位取得し農業学校を卒業する。
1979年
入学生向けの小冊子『学生精神教育マニュアルManuel d’éducation spirituelle de l’étudiant 』を友人たちと刊行。
高等映画学院(現在の国立高等映像音響芸術学校La Fémisの前身)の試験に失敗するも、合格したルイ=リュミエール映画高等専門学校に入学する。
1980年
ジャサンタ・セジョレーヌ・マリ・ド・ラ・ロッシュ・サン=タンドレ(Jacintha Ségolène Marie de la Roche Saint-André : 1957-)と結婚。
1981年
映画学校退学後、失業状態が続く。息子エティエンヌ(Étienne Thomas : 1981-)が誕生。妻と離婚し、精神的危機を迎える。
1982年
短編映画として第二作目の『不均衡Déséquilibre』を完成させる。同作品はミシェル・トマとイヴル・ド・スミス・ウィンター(Evel de Smythe-Winter)共同監督、イヴル・ド・スミス・ウィンター脚本による作品として翌1983年のグルノーブル短編映画祭に出展される。
1983年
IT企業のユニログ社に入社。4月に母方の祖母クララ・フェルナンド・チェッカルディ(Clara-Fernande Ceccaldi : 1891-1983)がマルセイユで死去。
1985年
三年間の有期雇用契約を農務省にて結ぶ。この契約は三年後もう一度更新されることになる。この六年間のあいだの幾度もの出張の経験が、のちの『闘争領域の拡大』に反映されている。
1988年
ミシェル・ビュルトー(Michel Bulteau : 1949-)と知己を得て、彼が編集を務める文芸誌『新パリ評論Nouvelle revue de Paris』通巻第14号にはじめてミシェル・ウエルベック名義で「私のなかのなにか」の題のもとに七つの詩篇を発表する。このときの著者紹介は以下の通り。「1956年、レユニオン島サン・ピエール生まれ。引っ越しの多い、混沌とした幼年期。/ほうぼうから寄せ集まった家族。腰を落ち着けられる場所もなく。/結局、祖母に育てられる。/勉強熱心な青年期。信念を欠いた農業工学の勉学。/嫌々ながらの情報管理部門での就業。/現在、パリ在住。3」(この著者紹介文自体が、数行の詩のように改行され、リズミカルに描写されている)。また同誌翌号に、H. P. ラヴクラフトについての批評的エッセイ「伝説となった男」を寄稿。この号には、のちに序文を書くことになるレミ・ド・グールモン(Remy de Gourmont : 1858-1915)の文章も掲載されている。
1990年
ミシェル・ビュルトー監修の「付き合わない方がよい人々」コレクションの一冊として、エッセイ『H・P・ラヴクラフト 世界と人生に抗ってH.P. Lovecraft. Contre le monde, contre la vie』の出版契約を結ぶ。また同年、ビュルトーを介してラ・ディフェランス社の創設・経営者であるジョアキム・ヴィタル(Joaquim Vital : 1948-2010)に紹介される。
1991年
『H・P・ラヴクラフト』を2月にロシェ社から刊行。同年5月にエッセイ『生きてあり続けること 方法Rester vivant. Méthode』、秋に詩集『幸福の追求La Poursuite du bonheur』がそれぞれラ・ディフェランス社から刊行。この詩集について、雑誌『グローブGlobe』誌にウエルベックへの初の批評文が掲載される。また、春に刊行された詩人レミ・ド・グールモンの詩集『ヒヤシンスの匂いL’Odeur des jacynthes』(オルフェー/ラ・ディフェランス社)の序文「知性を捨てることRenoncer à l’intelligence」を執筆。
前年の公務員試験に合格し、2月に国民議会の情報部門にて行政書士として職を得る。ラ・ディフェランス社で編集員を勤めていたマリ=ピエール・ゴティエ(Marie-Pierre Gauthier : 1960?-)と出会う。
1992年
『幸福の追求』がトリスタン・ツァラ賞を受賞。
1994年
数多くの編集者からの拒絶のすえ、作家・批評家のドミニク・ノゲーズ(Dominique Noguez : 1942-)の推薦とマリ・ピエールの懇願の結果、敬愛する作家ジョルジュ・ペレック(Gorges Perec : 1936-1982)の元担当編集者モーリス・ナドー(Maurice Nadeau : 1911-2013)を納得させ、長編小説『闘争領域の拡大Extension du domaine de la lutte』をモーリス・ナドー社から刊行。同年、ウエルベックはジャン=イヴ・ジュアネら芸術グループ「垂直」のメンバーらと出会い、季刊誌『垂直評論Revue perpendiculaire』の創刊編集メンバーとなる。
1996年
詩集『闘争の感覚Le Sens du combat』をフラマリオン社から刊行。同書がフロール賞を受賞。同年5月21日、ロン=ポワン劇場にてジャン=ジャック・ブリジェ(Jean-Jacques Brigé : 1952-)とマルチヌ・ヴィアール(Martine Viard : 1945-)らによる即興音楽を伴奏に、同詩集からの詩篇を作家自身が朗読。その録音作品『闘争の感覚』のCDをラジオ・フランスから発表。
1998年
さまざまな雑誌などで発表した文章と対談を集めた『発言集Interventions』をフラマリオン社から刊行。ヴァレリー・ソラナス(Valerie Solanas : 1936-1988)による『SCUMマニフェスト 男性皆殺し宣言SCUM manifesto. « Association pour tailler les hommes en pièces »』(千夜一夜社)のあとがきとして「人類、第二の段階L’humanité, stade second」を執筆。この年、編集委員を務めていた雑誌『垂直』のメンバーから、刊行前の『素粒子』における優生学の描写などが批判を受け、話し合いのすえ雑誌から離れることになる(ウエルベックは同雑誌に『素粒子』の一部を出版前に発表していた)。8月末に長編小説『素粒子』をフラマリオン社から刊行。同小説は実存するキャンプ施設の名称を使用していたことを訴えられ、第二刷以降はその名称を変更した。こうしたスキャンダルは小説の宣伝にもなり、初年で32万部を売り上げた。同小説はゴンクール賞を逃したものの、同賞に対抗して1989年に創立された11月賞(翌年から名称は12月賞に変更された)を受賞。また一連の作品群が、1950年に文化省によって設立されたフランス文学大賞を受賞。
マリ=ピエール・ゴティエと結婚。年末、アイルランド南西のバー島に転居。1999年 詩集『ルネサンスRenaissance』をフラマリオン社から刊行。『生きてあり続けること』(1991年)に複数のテクストを増補した『「生きてあり続けること」とその他のテクストRester vivant et autres textes』をジェ・リュ社からリブリオ・コレクションとして刊行。またフィリップ・ハレル(Philippe Harel : 1956-)監督・主演の映画『闘争領域の拡大』が公開される。
2000年
ウエルベック自身によるランサローテ島の写真集と、短編小説を分冊同梱で収めた作品『ランサローテ島 世界の中心でLanzarote : Au milieu du monde』をフラマリオン社から刊行(副題は他の版では削除されている)。ベルトラン・ビュルギャラ(Bertrand Burgalat : 1963-)作曲の音楽に、詩集『闘争の感覚』から選ばれた詩篇を作家自身が歌唱した音楽アルバム『人間的存在 La Présence humaine』のCDをトリキャテルから発表。
ウェルシュ・コーギー犬のクレマン(Clément : 2000-2011)を家族に迎える。
2001年
長編小説『プラットフォーム 世界の中心で Plateforme : Au milieu du monde』(副題は他の版では削除されている)をフラマリオン社から刊行。その18日後にニューヨークにおける同時多発テロ事件が起こる。トミー・ウンゲラー(Tomi Ungerer : 1931-2019)の画集『性愛観察Érotoscope』(タッシェン社)の序文を執筆。放送局カナル・プリュスの深夜帯向け短編映画『川 La Rivière』を監督し、同作が放映される。
2002年
『ランサローテ島』(2000年)に複数のテクストを増補した『「ランサローテ島」とその他のテクストLanzarote et autres textes』をジェ・リュ社からリブリオ・コレクションとして刊行。6月、英語に翻訳された『素粒子 Atomised』が、英語で刊行された小説に授与される国際IMPACダブリン文学賞を受賞。
前年に発表されたインタビュー記事(文芸誌『リールLire』通巻第298号、2001年9月刊)のなかで、イスラム教蔑視の発言をしたかどで法廷に召喚される。同年、スペイン南部のアンダルシア州のカボ・デ・ガタ自然公園付近に転居。
2003年
論集『今日のオーギュスト・コントAuguste Comte aujourd’hui』(キメ社)の序文として「実証主義への緒言Préliminaires au positivisme」を執筆。同テクストは2005年刊行のオーギュスト・コント(Auguste Comte : 1798-1857)『宗教についての一般理論、あるいは人類統合についての実証理論 Théorie générale de lareligion ou théorie positive de l’unité humaine』(千夜一夜社)の序文として再掲されている。『「ランサローテ島」とその他のテクストLanzarote et autres textes』(2002年)に収録された「クレオパトラ2000 Cléopâtre 2000」がトーマス・ルフ(Thomas Ruff : 1958-)による写真集『ヌードNude』(シルム/モーゼル社)の序文として再掲。「愛のすぐ前でJuste avant l’amour」をアクラン・シャンフォール(Aklain Chamfort : 1949-)の音楽アルバム『よろこびLe Plaisir』のために執筆。また、ウエルベックの友人である作家ドミニク・ノゲーズによる最初の批評的エッセイ『ウエルベック、その実態』(ファイヤール社)が刊行。以後、同書でウエルベックを評するのに用いられた「スーパーマーケットのボードレール」という呼称が定着する。
2004年
友人である詩人フェルナンド・アラバル(Fernando Arrabal : 1932-)、作家・編集者カトリーヌ・ミエ(Catherine Millet : 1948-)ら三人で共作の詩作品4を準備する。この三人はスペインのムルシーで会合を開き、その場でウエルベックはミエからショーペンハウアー賞を、アラバルはウィトゲンシュタイン賞を賜る。ロー・ユイ・ファン(Loo Hui Phang : 1974-)との共同執筆シナリオから製作された短編映画、ダヴィッド・ロー(David Rault : 1973-)監督『外の世界Monde exterieur』が完成する。
2005年
自らが監督する映画作品の製作費獲得を目的に、フラマリオン社から移籍し、長編小説『ある島の可能性La Possibilité d’une île』をファイヤール社から刊行。すでにベストセラー作家として知られていたウエルベックの移籍金は巨額に及ぶとされ話題を呼んだものの、当小説の売上は予想を下回り、また映画製作費に関する支払いも難航したため、作家は早くも翌2006年にフラマリオン社と再契約を締結する。同小説は同年のゴンクール賞を逃したものの、ジャーナリストらにより1930年に設立された文学賞アンテラリエ賞を受賞。また同作および『ランサローテ島』(2000年)に描かれるカルト宗教のモデルであるラエリアン・ムーブメントMouvement raëlienの名誉ガイドに任命される。
きわめて私的な文章「死ぬこと mourir」をインターネット上に公開(この文章は出版の意向がないことを前置きしているが、のちにカイエ・ド・レルヌ社による『ウエルベック Houellebecq』(2017年)に、「死ぬこと2」と共に掲載される)。
2006年
ドイツ人映画監督オスカー・ルォール(Oskar Roehler : 1959-)監督による映画『素粒子』公開。
2007年
ジャン=ジャック・ブリジェの音楽を伴奏に、『幸福の追求』と『闘争の感覚』における詩を朗読した作品『巡る空の構築Établissement d’un ciel d’alternance』発表。
数回の面識しかないベルナール=アンリ・レヴィ (Bernard-Henri Lévy : 1948-)に自殺予告を記したSMSを送る。引き止めたさい、話し相手がいないと嘆くウエルベックにレヴィは対談本の制作を提案し、二人のあいだでEメールのやり取りが開始される。
2008年
ベルナール=アンリ・レヴィとのEメールでの往復書簡『公共の敵Ennemies publiques』をフラマリオン/グラッセ社から刊行。自身が監督を務めた映画『ある島の可能性』発表。ジェフ・クーンズ(Jeff Koons : 1955-)のヴェルサイユ宮殿での展示を記録した美術書『ヴェルサイユ Versailles』(ザヴィエ・バラル社)の序文を執筆。ドイツの哲学者オスヴァルト・シュペングラー(Oswald Spengler : 1880-1936)の著作『西洋の没落』の刊行百周年を記念して創設されたシュペングラー賞を受賞。
実母チェッカルディが自伝『無実の女 L’Innocente』(スキャリ社)を発表。
2009年
『発言集』(1998年)から二つのインタビューを削除し、テクストを増補・再構成した『発言集2 Interventions 2』をフラマリオン社から刊行。
2010年
長編小説『地図と領土La Carte et le territoire』をフラマリオン社から刊行。同小説はフランスでもっとも権威ある文学賞のひとつ、ゴンクール賞を受賞。友人である小説家のフレデリック・ベグベデの小説『フランス小説Un roman français』(リーヴル・ド・ポッシュ社)の序文を執筆。
二度目の離婚。実母であるチェッカルディ死去。
2011年
5月、愛犬のクレマンが死没。パリ北部アニエール=シュル=セーヌの犬のための共同墓地に埋葬される。11月にウエルベックは動物保護団体に加盟し、動物保護の観点から小説を評価する文学賞、三千万の友賞の審査員に参加。
2012年
小説家・映画監督のギヨーム・ニクルー(Guillaume Nicloux : 1966-)監督による映画作品『ゴルジ事件L’Affaire Gordji』における警察署長役として、プロとしてはじめて役者を務める。ラシッド・アミルー(Rachid Amirou : 1956-2011)による『観光の想像世界L’Imaginaire touristique』(CNRS社)の序文として「失われたテクストLe texte perdu」を執筆。
同年末、長く続いた外国生活に区切りをつけ、パリ13区に居を構える。
2013年
詩集『最後の岸壁の構成Configuration du dernier rivage』をフラマリオン社から刊行。ジュリアン・ゴスラン(Julien Gosselin : 1987-)監督と演出を手がけた演劇作品『素粒子』が第67回アヴィニョン演劇祭で上演。同作品は翌2014年にオデオン座で、さらに2017年に同劇場で再び上演される。
2014年
発表された詩集や小説のなかから集められた詩篇を再編したアンソロジー詩集『和解することなくNon réconcilié』をガリマール社からポエジー叢書の一冊として、研究者アガト・ノヴァク=ルシュヴァリエ(Agathe Novak-Lechevalier : ?-)の序文を付して刊行。マルク・ラチュイエール(Marc Lathuillière : ?-)の写真集『国民美術館』(ラ・マルティニエール社)の序文として「存在の消耗に対する治療法Un remède à l’épuisement d’être」を執筆。作家ミシェル・ウエルベック役を本人が主演したテレビ映画作品、ギヨーム・ニクルー監督『ミシェル・ウエルベックの誘拐L’Enlèvement de Michel Houellebecq』が放映。同じく主演を務めたブノワ・デレピヌ(Benoît Delépine : 1958-)とギュスターヴ・ケルヴェルヌ(Gustave Kervern : 1962-)ら共同監督による映画『臨死体験Near death Experience』公開。
2015年
長編小説『服従Soumission』が1月7日に刊行。同日、シャルリ・エブド襲撃事件が発生。この数週間前に『経済学者ウエルベック Houellebecq économiste』(フラマリオン社)を発表したベルナール・マリ(Bernard Maris : 1946-2015)を含め多数の死傷者が出た。この襲撃は、ムハンマドを幾度も風刺してきた『シャルリ・エブドCharlie Hebdo』誌への攻撃だったが、同日刊行された同誌最新号の表紙はミシェル・ウエルベックの風刺画であり、彼の過去のイスラム蔑視の発言だけでなく、イスラム化するフランスという『服従』の内容からも作家の安全が危ぶまれ、出版の宣伝イベントはキャンセルされ、警官が身辺警護にあたる。
フランス国立図書館が2009年に創設した、フランス語圏作品を分野を問わず対象とする文学賞、BnF賞を受賞。
2016年
著作集『ウエルベック 1991-2000 Houellebecq 1991-2000』をフラマリオン社から刊行。表題通り、1991年から2000年にかけて刊行された作品が収録されている。また展覧会「ミシェル・ウエルベック 生きてあり続けることMichel Houellebecq. Rester vivant」がパレ・ド・トーキョーで開催。その模様やインタビューを収めた『ミシェル・ウエルベック 生きてあり続けることMichel Houellebecq. Rester vivant / To stay alive』刊行。俳優を務めたケルヴェルヌとデレピヌ共同監督による映画『聖なる愛Saint amour』、エリック・リースハウト(Erik Lieshout : 1961-)、 アーノ・ヘイガー(Arno Hagers : 1952-)、レイニア・ファン・ブルメーレン(Reinier van Brummelen : 1961-)ら共同監督による映画『生きてあり続けることTo stay alive. A method』公開。特に後者は、作家の憧れであったイギー・ポップとの共演作品として話題を呼ぶ。
2017年
著作集『ウエルベック 2001-2010 Houellebecq 2001-2010』をフラマリオン社から刊行。表題通り、2001年から2010年にかけて刊行された作品が収録されている。同書には付録として、ノヴァク=ルシュヴァリエによる詳細な人物索引が付されている。さらに、エッセイ『ショーペンハウアーとともにEn présence de Schopenhauer』をレルヌ社から刊行。また同社の代表的出版物である、多数の寄稿者による批評・研究によって文学・哲学的重要人物を多角的に紹介する雑誌『カイエ・ド・レルヌ』のミシェル・ウエルベック特集号が、ノヴァク=ルシュヴァリエ監修のもと刊行。
2018年
34歳年下のチェンユン・リー(Qianyun Li : 1990-)と三度目の結婚。実業家であるベルナール・マグレ(Bernard Magrez : 1936-)が創設した文学賞、ラ・トゥール・カルネ賞を受賞。
2019年
長編小説『セロトニンSérotonine』をフラマリオン社から刊行。同書は、前年から展開され長期化した、主に地方の経済格差に苦しむ人々による抗議活動、通称黄色いベスト(ジレ・ジョーヌ)運動が描き出されているとして話題を呼んだ。また、『ミシェル・ウエルベックの誘拐』(2014年)の続作的作品で、再び本人役で主役を務めたギヨーム・ニクルー監督の映画作品『海洋療法Thalasso』公開。
1965年にオーストリア共和国で創設されたヨーロッパ作家を対象としたオーストリア国立欧州文学賞を受賞。エリゼ宮にて大統領エマニュエル・マクロンよりレジオン・ドヌール勲章が授与される。
2020年
『発言集2』(2009年)に発表済みの多数の対談とエッセイを増補した『発言集2020 Interventions 2020』をフラマリオン社から刊行。エマニュエル・イルシュ(Emmanuel Hirsch : 1953-)による『ヴァンサン・ランベール、模範的な死?Vincent Lambert, une mort exemplaire?』(ル・セール社)の序文として「ヴァンサン・ランベール事件は起こるべきでなかったL’affaire Vincent Lambert n’aurait pas dû avoir lieu」を執筆。俳優を務めたケルヴェルヌとギュスターヴ・デレピヌ共同監督による映画『デリート・ヒストリー スマホの履歴を消去せよEffacer l’historique』公開。
2022年
長編小説『滅ぼすAnéantir』を、表題、著者名、出版社名すべて小文字の装丁のもと、フラマリオン社からハードカバーで出版(これまでの長編小説の初版はすべてペーパーバック版だった)。2021年末から過去の長編小説の再販が同様の装丁でなされており、2022年秋に作家のすべての長編小説がこの装丁のもとで再販される。役者を務めたフランク・デュボスク(Franck Dubosc : 1963-)監督による映画『人生のルンバRumba la vie』公開。また年末、ミシェル・オンフレ(Michel Onfray : 1959-)が編集を務める雑誌『市民戦線』にて特集が組まれ、長時間のインタビューが掲載される。ここでの「生粋のフランス市民の願いは、イスラム教徒が同化することではなく、強盗や暴行をやめてくれることだ。あるいは、立ち去ってくれることだ5」などの発言が問題視され、パリのグラン・モスケが訴状を提出すると予告。この提訴は作家との話し合いのすえ、発言の修正及び作家による後悔の表明を酌量して2023年1月5日に和解されるが、同月13日にUMF(フランスモスケ連合)が作家と対談相手であるオンフレを提訴したと発表する。
6月、イタリアの南方に位置するシチリア島エンナの私立大学であるコレ大学にて、名誉博士号が授与される。
- チェッカルディはイタリア語での読み。彼女の父親はコルシカ島で生まれ育ったのちにアルジェリアに転居した。フランス語ではセッカルディと発音され紹介されている。 ↩︎
- この同人誌の制作・刊行年について詳細は不明である。ドニ・ドモンピョンの伝記『ウエルベック』は1976年ごろに記事が執筆される様子を描いており、ピエール・ド・ボンヴィルによる伝記的書物『ウエルベック、その犬、その女たち』では1977年に制作と明記されている。また稀覯本を専門に扱う個人書店フォーストロールによれば、この同人誌は農業学校卒業後の1979年(https://www.radiofrance.fr/franceinter/les-tout-premiers-textes-publies-de-michel-houellebecq-retrouves-par-un-libraire-parisien-8140444 〔執筆者確認1/17/2023〕)に刊行されたという。 ↩︎
- « Né en 1956 à Saint-Pierre de La Réunion. Enfance chaotique, déménagements fréquents. Famille provenant d’un peu partout. Pas de racines précises. Au bout du compte, élevé par sa grand-mère. Jeunesse studieuse. Études d’ingénieur agronome, sans conviction. A travaillé, non sans dégoût, dans l’informatique de gestion. Aujourd’hui, vit à Paris. » dans La nouvelle revue de Paris n˚14, Paris, Rocher, 1988, p.133. ↩︎
- この作品はチェルシー・アート・ミュージアム(2011年に閉館)での展示のために製作された芸術作品『愛の規律 Disciplina de amor』を指す。スーツケースに三人の持ち寄ったオブジェ、詩作品が納められた作品である(以下の動画で作品をアラバル自身が紹介している。https://www.youtube.com/watch?v=OopWsLOnXfw〔筆者確認2023/01/16〕)。詩作品として、ウエルベックは『クエンカのための100の詩篇 Cien versos para Cuenca』と題された詩集を寄せている。この作品が実際にニューヨークで発表されたかは不明だが、2019年には作品中の三冊がアラバルの手によりスペインにて展示された(https://laregledujeu.org/arrabal/2019/06/23/10536/rencontre-le-lecrit-et-de-lestampe-a-cuenca-21-juin-2019/〔執筆者確認2023/01/16〕)。 ↩︎
- Entretien entre Michel Houellebecq et Michel Onfray, « Dieu vous entende, Michel », dans Front Populaire, Hors-série n˚3, Paris, Éditions du plenître, 2022, p. 13. ↩︎